改めて、あちこちと見てみると、なんだか見にくいなぁ。と感じることが多いこのブログサイト。
見てくださっている方ありがとうございます。ある程度、記事数がたまれば、記事のリライトをしてみて、見やすい、読みやすい読み物を作成するつもりです。
サイトの作り方も知らなかった、だらりん主婦です。そしてここはネット内の孤島のような場所。それでも、アクセスがあればやはり嬉しいものです。ありがとうございます。
私ごとではありますが、昨日(2018.12.24)14年連れ沿った愛犬を看取ったばかりで少々、気落ちしています。まさに息を引き取る瞬間をみたのですが、役者さんのように首ががくっとおちて永眠しました。
いわゆる老犬ではありますが、「介護」状態ではなく、一人でなんでもできていました。食事だって、トイレだって。もう14歳とだいぶ年でしたので、一日の大半は寝て過ごしていましたし、歩くスピードもものすごく遅くはなっていましたが、元気に過ごしていました。
老衰です。死亡原因は、心不全と肺炎の併発です。
2018年12月22日
その日実はお昼間ひざから降りようとしない、その姿に少しの異変を感じていました。夕方には首をもたげて背が丸まっており、おかしな座り方をしていたのです。
なんとなくですが、その時「今日死ぬ」ような気がしたのです。私は服を着替えてよごれてもいい姿で抱っこをしていました。
しかし、足の上でグッタリしています。「今日死ぬ」ような気はしていて、半ば覚悟も決めたつもりではいましたが、病院へ連れて行くことになりました。
その日の病院での採決検査ではC反応なんちゃらという、数値が8を指していました。8というのは重度の炎症がどこかに起きていることだと説明を受けました。ただ、2日後くらいの目安の入院の説明を聞いておりましたし、「あ。帰ってくることができるんだ。」となんだか、力が抜けたのを覚えています。
ただ、愛犬は、心臓と肺を一緒に悪くしている。とのこと。心臓(心不全)をよくするには、水分を抜いてあげる必要があるため、抗菌の点滴は控える。そして、空圧の高い酸素室に入れてあげる必要がある。肺炎を治療するには、酸素室よりだして、呼吸を安定させ、抗菌の点滴を入れてあげる。という全く反対の治療が必要だということを獣医さんより説明いただきました。
どちらかの治療をすれば、どちらかが悪くなる。そういった状況で、より、重要度の高い順に治療することに。まずは、心臓。
2018年12月23日
入院した当日から、酸素室に入っていました。翌日のお昼間12月23日にお見舞いに行った時には、酸素室でうつろ、うつろ。
その時の獣医さんのお話では、家で酸素室を準備する必要があることを教えていただきました。酸素室のレンタルのことを考えることに必死でした。心臓を悪くしているので、半年~1年。しっかりと介護をする気でいました。
同日23日午後、愛犬は酸素室を出ていました。 そして点滴もしていたので、心臓が落ち着いて肺の治療に入るのかな?なんてのんきなことを考えていました。
実際、目だってキラキラしていたのです。目が大きく見開かれ、わんちゃんが嬉しい時のあの表情です。容体が安定していい方向へと行ってる。そう思っていました。
ところが、その日の夕方、容体が悪くなってきたようで病院より連絡あり。すでにC反応なんちゃらは20.1というものすごい数値になっていました。これが23日の夕方です。
主人と順番に、お見舞いへといきました。たしかに横になったまま少し元気はないのですが、目はキラキラしています。鼻を少し高くあげ、「なでて」のあのポーズです。本当に悪いのか信じることが少しできずにいました。
2018年12月24日
翌朝24日朝9:00頃、病院より連絡がありました。ひきつけをおこして、非常に危ない状況にあること。すぐに来てください。とのこと。あわてて病院まで行きました。2度目を起こすとそのまま、死を迎えることを説明で聞いたので、次のひきつけがくるのが怖くて、怖くて仕方がありません。
すでに病院についたころには、頭全体を覆うような酸素マスク姿です。(自発呼吸が弱い状態)マスクをはずしてもらい、少し離れた場所から、管で酸素を鼻へ送ってもらっていました。病院では、たくさん、たくさん、顔も鼻も口まわりもなでであげることができました。
意識はあります。目は私をとらえ、耳は嬉しい時は少し後ろへ広がるように倒れます。声をかけるとこちらを向いて、話を聴いています。横たわったままではありますが、首をもちあげて、顔をこちらえと向けます。意識があるのです。そして、周りのことを理解できているのです。
たくさん。たくさん。「ありがとう」を伝える時間をいただきました。ですが、正直もう少し一緒に愛犬といたかった。(暮らしたかったです)病院でも「もう少し一緒にいたいな。」と声にだしてつぶやいていました。
何度も目を閉じようとうつろになり、遠い目になれば、身体のびくつき(手足のけいれん)が始まります。声をかけると焦点が合い、一時的にけいれんがおさまりこちらを向いて、また声を聴こうとします。
ですが、以前より愛犬の最期を考えていたわたしは、家で愛犬を看取ると決めていました。
22日病院へ行ったその日、最期はお家で迎えたいと伝えていました。獣医さんは大変に親切で何もわからない私の質問にわかりやすく、かみ砕いて説明をしてくれます。
その獣医さんが、「最期は家で看取りたいのです。」と私の言葉を覚えてくれていたのです。
そして、それを実行する時がきたのです。ですが、私は酸素の管を鼻から遠ざける決断をなかなかできずにいました。頭では無駄な延命治療はしない。と決めていても、実際その場にたつと、どこからが延命治療になるのかがわからなくなるのです。
自発呼吸ができない今、これは自然の力ではないので、延命治療になるような気もします。酸素を送ればまだ、呼吸もかろうじてできていますし、意識もあり、周りを判断し分かっています。ですので、「これは延命ではない。ただ、酸素を送ってあげているだけ。」そうも感じるのです。
たとえ酸素を送り続けても2時間後には、死んでいる。としても。
実際に、愛犬は苦しんでも、痛がっても怖がってもいません。おびえたような表情、ようすではないのです。
その時の愛犬の顔を見ていると、なぜかは分かりませんが、私が励まされているような気にさえなっていました。まるで、「どうしたの?なんで泣いてるの?」とでも言われているような気になるのです。
愛犬に心配されているような気になるのです。犬を飼ったことがある人であれば、わかる話だとは思います。犬は人を心配し、話を聞こうとします。
そうなってしまえば、今いるこの状態、愛犬に意識があり、時々うつろになっても、ちゃんと私を見て話しを聴く状態にもなるこの状態。この最期まで意識がしっかりしているということは、愛犬にとって、また私にとって、はたして幸せなことなのか。つらいことなのか。
私にはわからなくなってしまいました。
すでに、冷静な感情ではありません。管を鼻から離して家へと連れて帰る判断を30分できずにいたかもしれません。もしかすれば、1時間近くできずにいたかもしれません。時計を見ていないので時間の経過がわからずにいます。
家で看取りたい。なんて言っていましたが、実際、家までこの命が持たないことも理解できているのです。獣医さんは私の気持ちを尊重し、選ばせてくれたのです。
そして、やっと、管を鼻から離してもらい、おしり周りをデオシートで包んでもらい(発作時におしっこをもらしてしまうので)さらに、家から持ってきたバスタオルでやさしく身体をおくるみします。
トート型のキャリーバッグに入れて会計をしてる主人を残し、私と愛犬は先に病院をあとにしました。
自発呼吸がすでに弱い状態です。そして、あと1回のひきつけで最期になることはすでに獣医さんから説明で伺っていました。
ですが、病院を一歩出てしまえば、とても良い天気。
悲しくて、悲しくて仕方のない状態なのに、とても気持ちよく感じるのです。そして私の不安な部分がすーと抜けて、病院をあとにしたころから、ひどく気持ちが穏やかになりました。
トート型のキャリーバッグを身体の前で、両手で抱っこして中でおくるみにくるまれている愛犬の顔をみながら、歩きます。愛犬からすれば終わることのない、最期のゆっくり、ゆっくりとしたお散歩です。
家まで到着できることのない命なのは理解しています。ですので、急ぐことはありませんでした。
私は反対の行動とっていたのです。ゆっくり、ゆっくり腕の中の愛犬の顔を見ながら一緒にお散歩です。
私の気持ちがとても、穏やかになっていますので、優しく話しかけることができました。時折キュンキュンと小さな声をだすので、「大丈夫。大丈夫。」とそっと顔をなでることもできます。
10分ころ歩いたころでしょうか。主人とこどもが後ろから自転車で追いつきました。そこから1分もしないうちに、また私を見ながらキューン、キューンと小さくないたかと思うと、次の瞬間には、鼻を小さくグビグビとならし、その瞬間に首がかくっ。とおちてしまいました。
時代劇の中で切られた役者が死んでしまうように、首だけがかくっと落ちて。
目はずっと見ていました。少ししんどい。けれど甘えるようなあの目は、急激に色がなくなり、どこを見ているのか、わからない目になりました。
目の色が変わりましたので、2秒とかからず、すぐに、命がつきたことがわかりました。風がやわらかく流れていて、耳の毛はそよそよとやさしくなびいています。
毛は風のちからで動いています。ですが、静止画にしか見えないのです。あまりにも突然に「生」を感じないのです。
仰向けに抱いていた、愛犬は鼻から下をバスタオルにうずめるように、遠くを見た目のまま静かに小さく「死」を迎えました。
私の腕の中で、気持ちの良い日にゆっくり散歩をしながら最期の時を迎えたのです。愛犬からすれば、終わることのない、ゆっくり、ゆっくりとしたお散歩です。
そんな気持ちの良い日に、ゆっくりとしたお散歩と最期の瞬間を一緒にいるという、とても、幸せで満たされた、ひどく大きな幸福感と一緒に、大きな悲しさとで私の感情はぐちゃぐちゃでした。
ひどく満たされた感情、幸せな感情と、大きな悲しい。という感情を今までに同時に感じたことがなかったものですから、表現のしようがありません。
そのまま、涙はたくさん、たくさん出ますし悲しいんです。けれど、大きな幸せを感じるのです。
愛犬がいなくなってしまったのは、昨日です。ですが、時々ぽろぽろと涙は出ますが、ひどい喪失感だったり、落ち込みという感情がないのです。不思議なのですが。
まだ、心が実感としてわかっていないだけ。なんて見方もできますが、これは時間がかかってみないと分かりません。数週間して、ひどい喪失感が襲ってくるかもしれません。
ですが、腕の中で実際に、最期の瞬間を看取っています。実感がない。なんてことは、今の状況ではあまりない気がしています。
今は、人も動物も病院で最期を迎える方が多いのでしょう。見えないもの、見ていないものにヒトは怖さを感じるものだと思っています。
例えば、管を離す瞬間、その後がわかっていても、まだ見ていないことなので、ひどく怖く、不安なものになります。実際、怖くて怖くて決断できずにいましたし、「できない。」と声にだして何度かいいました。
しかし、管から鼻へと酸素を送っていても、数時間で必ず最期を迎えます。数時間もないかもしれませんね。すでに身体にはビクつきが出ていましたので、次の瞬間には、ひきつけを起こしていたかもしれません。
何が正しいだとか、何が間違いなんて言うつもりは全くありません。全ては「私」の場合であり、「私の愛犬」との場合のことです。
実際に、管を離した瞬間から、病院を出るまでは、怖さとおびえの気持ちの方が強かったです。病院を出た瞬間に、あまりの天気の良さに心が軽くなった。穏やかになった。とこんな感じでした。見えないものを見た(管を離して病院から出た自分を見た)ということで大きな恐怖がなくなってしまったのかもしれません。
そこからは、最期を一緒に迎えるだけです。これに関してはなぜか怖さがなかったのです。あれだけ管を離すことが怖く、決断できなかったことなのですが。やはり、私も見えないもの、想像が難しいものが怖かったのでしょう。
管を離して病院を出た私は、とても、大きな、大きな幸福感の中で、散歩をすることができました。最期の最期まで、その大きな幸福感は悲しさよりも大きかったですし、これを書いている今も思い出してポロポロと涙が出ることはありますが、満たされたような感情でいます。
ヒトもそうであるように、犬も同じ、見えないもの、想像しえないものを怖がっているとするならば、今回のこの最期のお散歩は愛犬も満たされた気持ちでいてくれたのかも。そうであってほしいと願いつつ。
はじめに戻りますが、愛犬は死期を理解していた気がします。数日前よりヒュン。ヒュン。となくことがあったことや、22日ひざから降りようとしなかったこと。
そして何より、私自身も22日に愛犬に死期が迫っている。と感じとったこと。いろいろありますが、最期をわかっているのなら、愛犬自身は「死」に対しての恐怖はそこまでなかったのかもしれません。
愛犬が感じる最大の不安や恐怖は、「自らの最期」にパートナーである「私」と一緒にいることができないことであるのならば。
自宅ではない、知らない場所ではないけれど、たくさんの馴染みのある場所でもない。そういった場所で、「自らの最期」がとても不安の中で迎えることであったとすれば。
そうだとすれば、「私」と「私の愛犬」の場合は、とてもいい方法で最期を迎えることができたのかもしれません。
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